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Webは生活インフラであってエコシステムの一部だが、分類分けは多いし危険。

Webの仕事は製造業か?

ウェブサイトは、HTMLでできている。物理的、、というかデータとして。

コンテンツをHTMLでコーディングし、HTMLファイルを作り、サーバにアップする、というだけのことを見れば、製造業に近いのかもしれない。

半分はあってる。けど、半分はあってない。

実際モノづくりな側面はあるので、第2次産業ではあると思う。ただ、それが人にとって、社会にとって、それ以上にエコシステムとしてどうあるか、というUXだのSDだのが入った時点で、第3次産業の側面が含まれるようになる。

あるいは、負荷価値として、安定した品質とか、高クオリティとか、そういったプロパティを持った時点で、人にとってすでにサービスといえる。安心を買うという行為になるため。

とても当たり前の話であって、違和感もない。

モノづくりとしてのWeb

そもそも論で、モノづくりとしてのWeb制作業は、それ自体に価値がある。

誰かが作らなければ、何もない。加えてこのとてもスピード感あふれる技術革新においついて、トップクオリティを維持しているなら、なおさらだ。

ただ、Webの価値をチラシと同等の機能であると勘違いしている客にとっては、高クオリティである必要もないし、インフラである必要もない。

したがって、アクセシビリティなどと意味のないことにつながるし、そもそもページ自体が自分で作ったパワポやワードのキャプチャ画像一枚でいいのかもしれない。

TimBLが、とてもがっかりしそうな内容だ。

検索を含むWebそのものが生活インフラを構築する

Web制作者は、www上で、生活インフラを構築していることの自覚をもたなければいけない。セマンティックやパフォーマンス、高品質なコンテンツと、ユーザビリティ。インフラである以上、アクセシブルである必要は、言うまでもない。

Webとチラシを混同する類のデジタルイミグラント世代は、総じてソーシャルフラキシケーション系は理解しづらいだろうし、いやいやその前に、文字は大きくなければ見えないだろう。

isoでのフォントをpxに換算すれば16px。これはほぼブラウザのデフォルトサイズ。相対指定でいえば、

html{font-size:62.5%}

p{font-size:16px;font-size:1.6rem}あたり。

自己中な客は、自分を見ない

自分のやりたいことを達成するためには、自分がユーザーであることを忘れることが多いようだ。これは、相手がいる仕事ではないので、プロフェッショナルな仕事をする人間とはいいがたい。

自分がやりたいことには、自分が知っている範囲で、自分だけの想像が全てであり、否定されることは許されないのである。しかしながら、いざ自分が生活のモードに入った場合、同じようなサイトを見て言うのだ。「こんなのだめだ」。

社会的価値につながるか?

こういった自己中な客へのサービスは、高品質なエンジニアやデザイナーや設計者をあてがうべきではない。そもそも高クオリティを求めていないし、費用も高い。高品質なメンバーは、高品質を求める客とつながることで、win-winの関係を築き、社会的価値、言うなれば社会生活インフラをよりよく構築することができる。

日本の中でさえ、困っている人は多いのだ。"客"という存在をボトルネックにしてインフラの拡大を阻害してはいけない。なぜ社会生活を阻害するのか?その権利は自己中にはないはずである。

利他的行動により社会が成り立っており、(そのための"心"というシステムを持っているのだが)、利己的であればあるほど、社会のモラルは崩れるということになる。そんな人間に肩入れする必要もないであろう。

もし、それが強制であり、他の手段が本当にないのならば、その場を離れるという選択が候補にあがる。社会をよりよくするためは、まっとうな社会活動をしている場に身を置くべきだろう。あるいは自力でその思想を体現するのがよいのではないだろうか。